ブラジルの大地に生きた写真家・大原治雄
開拓農民として日本からブラジルへ渡り、独自の写真世界を築き上げた日本人がいました。その名は、大原治雄。1909(明治42)年、高知県に生まれた治雄は、17歳の時、一家をあげてブラジルに移住、長い年月をかけて原生林を開墾しコーヒー農園を築きあげました。
24歳で、同じ日系移民・幸(こう)と結婚。その結婚式を撮影した写真家との交流が、大原を写真の世界へ導く契機となります。小型カメラを手に入れた治雄は、独学で農作業の合間にブラジルの大地の生命力と家族の姿を撮り続けました。1950年代からアマチュア写真家として、国内外の写真展に出品。1970年代に入ると、地元新聞に掲載され、次第にその名を知られるようになっていきました。1998年には、ロンドリーナ国際フェスティバルで初の個展が開催され大きな反響を呼び、その後もクリチーバ市国際写真ビエナーレに2回連続して紹介されるなど、ブラジル国内で高い評価を受けるようになりました。
1999年、ついに故国の地を再びみることなく89で永眠。2008年、日本人のブラジル移民100周年を記念して世界屈指の写真アーカイブであり、美術館でもあるモレイラ・サーレス財団(IMS)に、ネガやプリントをはじめ写真用機材、日記など一連の資料が遺族により寄贈されました。本展は、IMSの全面的協力により代表作30点を展示します。
本年は、日本人のブラジル移住110周年に当たります。この記念すべき年に、ブラジル移住者の心の故郷といえる「旧国立移民収容所」で、大原治雄の写真展が開催されることは望外の喜びです。17際でブラジルへ渡って以来、故郷の地を踏むことのなかった大原治雄の叶わなかった願いが、彼の残した写真による展覧会という形で果たされることになります。
大原治雄 Haruo Ohara(1909-1999)略歴
1909年11月、高知県吾川郡三瀬村(現・いの町)に農家の長男として生まれる。1927年、17歳で家族と移民としてブラジルに渡り、はじめサンパウロ州のコーヒー農園で働いた後、1933年、パラナ州ロンドリーナへの最初の開拓団として入植。1938年に小型カメラを手に入れ、コーヒーや果樹栽培の農作業の合間に趣味で撮影をはじめる。独自に研究を重ねながら技術を習得し、次第にカメラに没頭。1951年にはロンドリーナ市街地に生活を移し、「フォトシネクラブ・バンデイランチ」(サンパウロ)に入会。農業経営の一方、60年代後半まで国内外のサロンに積極的に参加。当時は無名のアマチュア写真家だったが、1970年代はじめから徐々に知られるようになり、地元新聞などで紹介される。1998年、「ロンドリーナ国際フェスティバル」および「第2回クリチバ市国際写真ビエンナーレ」で、初の個展「Olhares(眼差し)」展が開催され、大きな反響を呼ぶ。1999年、家族に見守られながらロンドリーナで永眠。享年89。2008年、日本人ブラジル移民100周年の機会に、遺族により写真と資料の一式が、ブラジル屈指の写真史料アーカイヴズであるモレイラ・サーレス財団に寄贈された。
*ブラジルの光、家族の風景-大原治雄写真集(発行:サウダージ・ブックス)大原治雄略歴より転載させていただきました
大原治雄写真展「ブラジルの光、家族の風景」
会 場 :海外移住と文化の交流センター 1階特別展示場
〒650-0003 神戸市中央区山本通3丁目19-8
TEL:078-230-2891
URL:http://www.kobe-center.jp/
会 期 :2018年2月17日(土)~5月6日(日)
※月曜休館日(祝日の場合は翌日)
開館時間:10:00~17:00(入場は16:30まで)
入場料 :無料
主 催 :一般財団法人 日伯協会、神戸市
特別協力:ブラジル大使館、モレイラ・サーレス財団(IMS)
後 援 :神戸市教育委員会
企 画 :コンタクト