鳥取県の裕福な廻船問屋に生まれた塩谷定好は、大正から昭和初期に絶頂期を迎えた日本の芸術写真の代表的写真家です。
絵画的な写真表現を目指した日本の芸術写真は、海外のピクトリアリズムの影響を受けながら独自の発展を遂げました。特に、ベス単と呼ばれるカメラを使用し独特のソフトフォーカスでとらえる「ベス単のフードはずし」という技法を使った塩谷定好の美しいプリントは、写真を志す当時の若者たちに大きな影響を与えました。同郷の後輩にあたる写真家・植田正治も「塩谷さんといえば、私たちにとって、それは神様に近い存在であった」と語っています。
カメラが非常に高価だった当時、写真は「高級な趣味」であり、営業写真館の写真師以外は、誰もがアマチュア写真家でした。主な発表の場は、写真雑誌のコンテストなどに限られ、作品がまとまった形で発表されることが極めて少ない時代でした。
1982年に西ドイツ(当時)ケルン美術館での展覧会開催、フォトキナ栄誉賞受賞など、1970年代後半から欧米を中心に再評価がはじまり、2014年に塩谷定好の生家を改装した塩谷定好記念館が開館しました。本展では、同館所蔵品から精選したヴィンテージ・プリント(※)25点を展示いたします。
※撮影直後にプリントされ、写真家が作品とし認めたもので希少価値が非常に高い。
■塩谷定好(しおたに ていこう)
1899年(明治32年)、鳥取県東伯郡赤碕町(現・琴浦町)に生まれる。本名・定良(さだよし)。生涯にわたって故郷である山陰地方を撮り続け、日本芸術写真の草分け的存在として活躍、海外においても評価が高い。小学校5年生でカメラを手にし、1919年(大正8年)、赤碕にて写真愛好会「ベストクラブ」を創設。1926年(昭和元年)、『アサヒカメラ』創刊号第1回月例コンテストで作品《漁村》が1等に入選。その後、国際写真サロンなど多数の展覧会、コンテストで入選、受賞を重ね、芸術写真研究会会員、日本光画協会会員、国際写真サロン特待員会会員として多くの作品を発表。1975年(昭和50年)に出版された『塩谷定好名作集』は、芸術写真見直しの気運を高めた。
1979年(昭和54年)欧州12か国を巡回した「今日の日本の写真とその起源」展、1982年(昭和57年)西ドイツ(当時)ケルン美術館の「フォトグラフィ 1922-1982」展に出品、後者ではフォトキナ栄誉賞を受賞。1983年(昭和58年)日本写真協会功労賞を受賞。1988年(昭和63年)「ヒューストンフォトフェスト」(アメリカ)において「塩谷定好展」を開催(アメリカ国内7会場を巡回)。同年、89歳で死去。
作品はフランス国立図書館、ハンブルク工芸美術館、サンタフェ美術館、東京都写真美術館、横浜美術館、鳥取県立博物館、島根県立美術館、米子市美術館などに所蔵されている。
〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番3号
(東京ミッドタウン・ウェスト)
TEL 03-6271-3350 URL http://fujifilmsquare.jp
主催:富士フイルム株式会社
協力:塩谷定好写真記念館
URL http://teiko.seeker.jp
後援:港区教育委員会
企画:コンタクト